甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第69弾 大石内蔵助の登場です。21歳で筆頭家老になりました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、浅野内匠頭が大それたことをやらかし、

赤穂藩はお取り潰しになりました。

お取りつぶしは現在で言いますと会社に対する解散命令みたいなもんです。

お取りつぶしになると赤穂藩にお金を貸していた商人はこぞってお城に詰め寄り、

とにかく金目のものを差し押さえます。

その大混乱を見事にさばいたのが赤穂浪士の主人公「大石内蔵助」です。

大石内蔵助は1659年、大石良昭の長男として生まれました。

子供の頃は松之丞(まつのじょう)と名付けられました。

大石家は内蔵助の代で四代目となる赤穂藩の筆頭家老の家です。

1673年9月6日、父・良昭が34歳の若さで亡くなったため、祖父・良欽の養子となりました。

またこの年に元服して喜内(きない)と称するようになりました。

1677年1月26日、良雄が19歳のおりに良欽が死去し、

その遺領1,500石と内蔵助(くらのすけ)の通称を受け継ぎ、

赤穂藩の家老見習いになり、大叔父・良重の後見を受けました。

内蔵助は大石家の家を継ぐ者が代々受け継いだ名前で四代目の大石良勝から受け継いでおりました。

1679年の21歳のときに正式な筆頭家老となります。

しかし、21歳の若者には荷が重すぎます。

 

 

 

 


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