甘霧庵

冬と言えばビーチボーイズ NO56 1968年から69年かけては辛い時代でした。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、アメリカでのコンサートツアーもニューアルバムも失敗したビーチボーイズですが、

なんと大西洋を渡ったヨーロッパでは人気が出てきました。

レコードの売り上げは大ヒットとはいきませんが、

そこそこ売り上げましたし、

1968年のロンドンやパリでのコンサートはずいぶんウケたみたいです。

さらに東欧でもコンサートをしたようですが、

1960年代の東欧ではコンサートを続けるだけの電力を供給することができなく、

途中でマイクが使えなくなってしまいました。

それをいいことにマイク・ラブは死んでいるマイクに向かって下ネタを連発していたみたいです。

しかし、各メンバーはどんどんやばくなっていきます。

まずはブライアン・ウィルソン。

彼は自分が必死になって作ったアルバムが評価されずにすっかり落ち込んでしまいちょっと重めの鬱になってしまいます。

次に、マイク・ラブ。

彼は1967年の暮れから瞑想にどっぷりハマってしまい。

1968年の四月にはわざわざインドのリシケシュに行って瞑想のトレーニングに参加しております。

その後もコンサートの衣装もなんかおかしなことになっております。

しかし、一番おかしくなってしまったのが一人います。

続く。

画像

リシケシュの風景

By Amit.pratap1988 – travilling, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36354233


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