皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
大石内蔵助が山科の小さなお寺で隠遁生活をしていた頃、
地元の赤穂では浅野家復興を模索し始めました。
例えば、
奥野定良(1,000石組頭)・進藤俊式(400石足軽頭)・小山良師(300石足軽頭)・岡本重之(400石大阪留守居役)などの官僚陣は特にお家復興を最優先事項と考えていたようです。
つまりは穏便に済まそうと考えたわけです。
その一方で、江戸にいた下級武士である堀部武庸(200石江戸留守居役)・高田郡兵衛(200石馬廻役)・奥田重盛(150石武具奉行)などの武闘派は仇討ちをするぞと息巻いておりました。
ここで二派の石高(年収)を見てみますと穏健派の方が圧倒的に高年収です。
いつの世でも高収入で官僚的な方は穏便に済ませたがるのかもしれません。
もちろん例外は多くあるでしょうが。
では、大石内蔵助はどうだったのでしょうか。
例の大事件を起こしたリーダーであったにも関わらず、
この時期は、意外なことに内心はお家復興の穏健派だったみたいです。
つまりは穏健派にはお家復興を奨励し、
強硬派には時期尚早だと説いていたみたいです。
そして、実際に各方面に働きかけをしていたみたいです。
続く。
画像
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