甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第74弾 赤穂事件のもう一人の主役がいよいよ登場です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、御家再興か吉良家討ち入りか。

大石内蔵助は御家再興を模索していたようです。

どうやら、彼は赤穂を立ち去る前には遠林寺住職・祐海を江戸におくり、

将軍・綱吉やその生母桂昌院に影響力を持っていた神田護持院の隆光大僧正などに浅野家再興の取り成しを依頼していたそうです。

さらに当時、大石の右腕であった小野寺秀和とともに浅野長矩の従兄弟にあたる美濃大垣藩主・戸田氏定と浅野家再興を議するために、

大垣を訪れているみたいです。

また幕府の担当者である荒木政羽に嘆願して、

「浅野家お家再興の望みあり」という書状が届いていたみたいです。

こう見ると大石内蔵助は御家再興に奮闘していたんですね。

その一方で、吉良家討ち入り派の急先鋒は堀部 武庸(ほりべ たけつね)通称堀部 安兵衛(やすべえ/やすびょうえ)さんです。

松の廊下の刃傷沙汰があった当時、堀江さんは江戸の赤穂屋敷に勤めていました。

そして、事件があった後にこの屋敷が取り壊される噂が流れます。

そうなると、強盗や空き巣が赤穂藩の江戸屋敷にわんさかやってきたそうです。

それを最前線で捌いていたのが堀部 武庸です。

次回は堀部 武庸さんの特集です。

画像

歌川国貞 – “Images and Literary Sources – The Floating World of Ukiyo-e” Library of Congress, USA, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1664990による

 


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA