甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第75弾 堀部安兵衛さんを深堀って行きましょう。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、浅野内匠頭の刃傷事件に発した一連の事件で、

赤穂藩は大揺れでした。

赤穂藩の地元の官僚は御家復興を願っておりましたが、

赤穂藩の江戸詰の武士は吉良家討ち入りを願っておりました。

その討ち入り派の筆頭格が堀部 武庸(ほりべ たけつね、1670年-1703年)さんです。

堀部安兵衛(やすべえ/やすびょうえ)で知られております。

この方、生まれは新潟県の新発田市(しばたし)でお生まれになりました。

元々の苗字は中山でした。

ご両親は武庸さんが幼少の頃にお亡くなりになり、

親戚を頼って上京します。

その後、現在の文京区にあった堀内正春(ほりうちまさはる)さんの剣道場に入門をします。

この剣道場は当時有数の道場として名を馳せていたようです。

この道場で若き堀部 武庸はメキメキその腕を上げていきます。

そして、なんと最終的には免許皆伝となって堀内道場の四天王(他の3人は奥田孫太夫、菱沼式兵衛、塩入主膳)になりました。

ちなみに奥田孫太夫(おくだまごだゆう)も赤穂藩に仕え堀部武庸と同僚になります。

菱沼式兵衛(ひしぬましきべえ)はその後「菱沼流」を確立させるほどの剣士になります。

塩入主膳(しおいりしゅぜん)も「塩入流」を完成させます。

画像

歌川国貞 – “Images and Literary Sources – The Floating World of Ukiyo-e” Library of Congress, USA, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1664990による

 

 


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