甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第81弾 会議は所詮多数派によって決まります。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1701年の暮れに吉良さんが隠居を申し出ます。

その背景には本来なら喧嘩両成敗で浅野内匠頭が切腹は仕方なしは分かるとして、

吉良上野介も何らかの処罰が降るはずです。

しかし吉良側には何のお咎めもありませんでした。

これが意外と評判が良くなくて、

それを気にした吉良さんが隠居を申し出たわけです。

隠居となると二つの点で問題が起こります。

その一つが江戸から息子の養子先である米沢に引っ越しする可能性があるということ。

もう1つが隠居してしまうと事件が一気に風化してしまうこと。

これを聞いて江戸急進派は焦り始めます。

そして、山科にいる大石CEOにお伺いを立てます。

そして、年が改まった1702年2月15日に第2回討ち入り会合が執り行われました。

ただし、今回は山科で行われたので江戸急進派の意見はあまり届かず前回の1回忌までの討ち入りを3回忌までの討ち入りと

延期案が可決されてしまいました。

大石CEOの頭の中には浅野内匠頭の弟である浅野大学さんを社長に迎えて新体制を取り、

そして、浅野大学の命令で討ち入りをする。

という構想を練っておりました。

仮に3回忌までとするとそれまでには弟を新社長にすることはできるだろうとの算段をつけていたのでしょう。

画像

赤穂市にある赤穂大石神社

 


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