皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、病床にある覚恵さんを追放してしまった唯善さん。
追放された覚恵さんは1307年の5月に京都の三条朱雀でお亡くなりになりました。
亡くなったのは覚恵さんの奥さんの実家とも言われております。
三条朱雀は現在の千本三条のあたりでJR・地下鉄二条駅のあたりです。
この辺りは鎌倉時代には京都の中心地で大きな朱雀通りが通っていたところです。
ちなみに朱雀通りのみなみ門が羅生門です。
怒ったのは息子の覚如さんです。
最終決着をつけるべく動き始めます。
まず、信徒が多い関東に向かいうん資金集めをします。
次に検非違使庁(けびいしちょう:京都の警察・裁判)から大谷安堵の別当宣(庁官の口頭命令)を手に入れます。
今で言うところの裁判所命令みたいなもんだと思います。
さらに伏見院の院宣を賜わります。
こちらはもっと強いもっと強い命令書でしょ。
それに対して唯善さんは親鸞上人が実際修行をしていた青蓮院(しょうれんいん)に裁定してもらうように訴えました。
しかし、その裁定は唯善さんの敗訴に終わります。
根拠は上記の命令書があることに加え母親である覚信さんの遺言書が決定打となりましたが、
私見では唯善さんが覚恵さんに対して行った行為も大きかったと思われます。
続く
画像
青蓮院宸殿(しんでん)
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