皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、裁定に納得のいかなかった唯善さんはとんでもない行動を起こします。
なんと大谷廟堂を破壊して親鸞上人の木像と遺骨の一部を奪って鎌倉に逃げてしまいます。
これらの行動を見ると唯善さんには強い上昇志向があり親鸞上人の教えをガンガン広げていく行動力があったのでは無いでしょうか。
ただし、その一方で暴力的な性格があったのかもしれません。
つまり、織田信長的な感じだったのかもしれません。
このような性格は武士であれば良かったのかもしれませんが、
宗教的指導者となるとそうはいかないかもしれません。
その性格を母上である覚信尼さんは見抜いていたのかもしれません。
それに対して覚恵さんは穏やかな性格で争いをあまり好まない性格だったのでしょう。
親鸞上人の教えを広げる上では若干頼りない感じがあったのかもしれません。
ただし、その息子である覚如さんは父親の性格を引き継ぎつつも頭脳明晰で器用さもあり
暴力的に争うことなく知的に自分の地位を確立していくしたたかさがあったのかもしれません。
唯善さんは実質的には覚如さんのしたたかさに敗北したとも言えるでしょう。
覚如さんはその後大谷廟堂を再建し、
親鸞上人の木像を作成して浄土真宗の基礎を築き上げていくことになります。
続く。
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台北市にある西本願寺跡地に残る鐘楼