皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、前回忠臣蔵に登場する架空の人物「村上喜剣」さんをご紹介しました。
そして、この方が忠臣蔵に登場する理由が
泉岳寺の赤穂四十七士のお墓の一角に「刃道喜剣信士」と刻まれたお墓があり、
しかも俗名(生きていた時の名前)が刻まれていなかったため、
そのお墓が「村上喜剣」さんとして
それが浪曲とか講談とかに登場してしまったわけです。
では、このお墓はだれのお墓なのでしょうか?
長らく誰のお墓かはわかりませんでした。
しかし、明治になり「間十次郎」さんの墓の傍らに「寺坂吉右衛門」さんの墓碑を建てるときに
「刃道喜剣信士」は「萱野三平」さんであることが「泉岳寺書上義士墓図」により確認されました。
この萱野 重実(かやの しげざね通称三平1675年- 元禄15年1月14日(1702年2月10日))さんです。
この方の亡くなった日に注目してください。
旧暦で 元禄15年1月14日です。
討ち入りは元禄15年 (1702年) 12月14日ですので
討ち入りの約1年前に亡くなっております。
浅野長矩の刃傷沙汰が元禄14年(1701年)3月14日に起こり、
即日、切腹しております。
つまり、浅野長矩の切腹から約1年後に亡くなっております。
なぜでしょうか?
画像
泉岳寺の「刃道喜剣信士」という戒名が彫られた供養塔。
Munch2015 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42181478による