皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、聖書の神様は一見矛盾することをアダムに伝えました。
1つは「園の中にある木の実は自由に食べていい。」
もう1つは「この地を耕せ。」
この二つは矛盾しているように思えますが、
ここに聖書の根底に流れている教えがあるように思えるんです。
「自由に食べてよい」はお恵みです。
私たちは普段の生活をしていく中で知らず知らずのうちに恵みを受けているように思います。
この「恵み」を与えるから自由に取りなさいと言ってるわけです。
さらに深掘ってしまうと
「自由に」を「好きな物を取る」ではなく
「取る」に係っているとして
取ってもいいし、取らなくてもいい。
つまり、恵みは用意するからお前が自由にしろ。
俺の恵みなんてクソくらえと思うんならそれはそれでよし。
そう考えると私のようなさもしい人間は
そう言うんだったらあるだけください。
と思ってしまいます。
ただ、こんな奴がいることは聖書の神様は百も二百も承知です。
最後の晩餐の時、
イエス様は弟子の足を洗いました。
これが恵みです。
そしたら弟子の一人が「全身洗ってくれ」と言います。
そしてイエス様の返しは足で十分だろう。
私が与えた恵みをお前が他の人に与えるんだ。
考えさせられます。