皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、聖書の神様はあふれんばかりの恵みをアダムに与えました。
しかし、同時に耕せとも命じました。
あふれんばかりの食べ物があるのに何故わざわざ耕さなければならないのでしょうか。
日本人風に考えると
そうは言っても仕事はしろ、
働かざる者食うべからずだ。
そうかもしれませんが、
もう少し深掘ってみます。
「耕す」と日本語訳をしておりますが、
ヘブライ語では(עָבַר)「アーヴァル」で本来は仕えるという意味だそうです。
それを何故「耕す」と訳したのかは定かではありませんが
おそらく日本人的な働く事を奨励しているぞと思わせたかったかもしれませんが、
私はヘブライ語の仕えるのほうがいいですね。
聖書を読むと(実はイスラム文学の千一夜物語でもそうですが)聖書の神様が
一番お喜びになるのは、
神様のおっしゃることを信じることと祈ること
つまり、耕す=仕える=いうことを聞き祈ること
ということになるのでしょう。
こう考えると一気に聖書の哲学が浮き彫りになってきます。
働く事は素晴らしいことだとは思います。
でも、聖書にはそれ以上に大切なことがあり、
ついつい日本人が忘れてしまっていることを
思い起こさせられます。