皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、1936年ユル・ブリンナーが16歳の時、
サーカスの空中ブランコの大技が失敗して地面にたたきつけられ
40か所以上の骨折をする大けがを負ってしまいました。
彼は病院で長期的に鎮痛剤として医療用のアヘンを投与されてしまいました。
この治療が悲劇を招きます。
彼は痰飲した後もアヘンが欠かせない体になってしまいました。
どうやら、中国やベトナムからの違法なアヘンを買っては常用していたようです。
しかし、そんな時、救いの手が差し伸べられます。
同じ時期、同様にアヘンで苦しんでいた詩人で作家のジャン・コクトーと出会います。
ユル・ブリンナーはジャン・コクトーが主催するアヘンから立ち直るサークルに頻繁に通うようになり
完全な回復を誓うことになりました。
ここで、ジャン・コクトーについて脱線したいところですが
それはやりすぎなのでいずれまた。
ここでさらなる救いの手が差し伸べられます。
彼の母の妹である叔母のヴェーラ・ドミトリエヴナ・ブラゴヴィドヴァ=ブリンナーです。
元々、彼女は医者で彼にスイスのローザンヌにある断薬を専門とするクリニックを手配してくれました。
ユル・ブリンナーは彼らの支援に感謝煮ながらフランスを後にします。
画像
「ジャン・コクトーの肖像」1912年
Federico de Madrazo y Ochoa (1875-1934) – http://www.artnet.com/artist/555125/federico-de-madrazo-de-ochoa.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4134265による