皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、1940年になるとパリも安全な土地ではなくなってきました。
徐々に第二次世界大戦の足音が聞こえだしたのです。
その頃ユル・ブリンナーの母親が体調を崩していたこと
姉のヴェラさんからの再三のお誘いがあったことから彼は母親を連れてアメリカに移住することを決意します。
ただし、大西洋を航路で渡ることは非常に危険であったため
まず、シベリア鉄道でウラジオストックに行き
そこから中国の大連にたどり着きました。
このときユル一家はシベリア鉄道からの風景をどう見ていたのでしょうか。
彼らが通過しているのはロシアではありません。
ソビエトです。
つまり、ユル一家は祖国の地にいながら祖国には入れない
何とももどかしい思いがあったのだと思います。
そしてやっとの思いでたどり着いた大連。
当時の大連は日本が実質統治をしておりましたが、
ヨーロッパのきな臭さが嘘であるかのような平和な都市だったようで
ユル一家のような戦火を逃れようとしたヨーロッパ人一家が多くいたようです。
また、大連はユル一家が一時期過ごしていたこともあり厳しい移動生活の中でもほんのひと時安らげる土地であったことと思われます。
そして彼らの次の目的地はどこでしょう。
続く。
画像出典
Sorovas – Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0 (https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22127706)