甘霧庵

聖書のお話をちょっと考察 vol 59 聖書には時折あります。あっさり書かれているけど奥が深い。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、旧約聖書創世記第2章第24節と第25節です。

『24それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

25人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。』

まず、24節については「骨肉」以上の関係を表す「私の骨の骨、肉の肉」という言葉からもお分かりの通り、

親子関係や親族関係を表す「骨肉」はいずれ離れていく関係ですが、夫婦の関係は「一体」と考えるんですね。

この部分は教訓的で聖書の神様がその場でアダムとイブに行ったものではないと考えられます。

なぜなら次の文章がそれを裏付けているように思うからです。

この頃はアダムもイブも裸ですが恥ずかしなかったのです。

裏を返せば、

異性の裸を見てもなんとも思わなかったわけです。

今の私たちは異性の裸を見るといろいろ思うことがあります。

しかし、この時はなんとも思わなかったのです。

当然子作りなんてしなかったと思われます。

だって、お互いなんとも思わないんですから。

しかし、聖書の神様はいずれアダムとイブは親になっていくと。

そして、いずれ親子よりも親密な関係性が築かれていくと。

この部分はあっさり書かれておりますが、

時系列的未考察するとなかなか考えさせられます。

 


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