甘霧庵

古都京都の文化遺産 その74 やっぱり政争の具でした。そうかとは思っていましたが。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、西本願寺にあります唐門。

西本願寺の雰囲気にはちょっとなじまないかのような豪華で煌びやかな美しい門です。

その美しさから見とれてしまって日が暮れてしまう「日暮れ門」というあだ名までついております。

では、この唐門はなぜ西本願寺にあるのでしょうか。

確実なことは解っておりませんが、

元々、唐門は豊臣秀吉が築いた伏見城にあったとされております。

しかし、徳川の時代になって一国一城政策により1623年に解体されることが決まりました。

しかしながら桃山文化の豪華絢爛な唐門を廃棄するのはもったいないということから

唐門は西本願寺にゆずられました。

そこには西本願寺と徳川幕府の微妙な駆け引きがあったとされております。

西本願寺は豊臣秀吉から広大な土地を与えられ秀吉のバックアップのおかげで運営されておりました。

つまりは秀吉側だったわけです。

その西本願寺を懐柔するために徳川が唐門を送り今後は徳川が西本願寺をお守りします。

とのアピールをしたわけです。

本願寺と言えば一時期は織田信長に反抗してずいぶん苦しめた過去があります。

当時の為政者としてはできれば敵に回したくない相手だったはずです。

徳川さんも苦労したんです。


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