皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、旧暦の1702年12月15日(新暦ですと1703年1月30日)の午前4時ごろ
いよいよ討ち入り決行です。
17世紀半ばから19世紀半ばは全世界的に見て現代の温暖化の逆の寒冷化
「小氷期(リトル・アイスエイジ)」と呼ばれる寒冷な時期にありました。
江戸の文献でも冬に墨田川が凍ったとの記載があったり、
7月に霜が降りたりと異常気象でした。
ですから、1702年の冬は相当寒くて東京でも雪は降ったでしょう。
しかも、吉良邸は墨田川の近くにありますので、
余計に寒くなったでしょうし
さらに寒波が入ってきたら大変な寒さになったでしょう。
おそらく氷点下になっていたでしょうし、
体感ではマイナス5度くらいと推測されます。
赤穂一行もその寒さは認識しており
しっかり重ね着をして
足元も何重にも足袋をはいていたようです。
ただし、手だけは動きやすいように素手ではなかったにせよ
かなり軽装だったようです。
そして、赤穂一行による第一声
「我らは赤穂浪士である。主君浅野内匠頭の仇討ちに参った!」
そして、表門と裏門を同時に破って吉良邸に突入しました。
この第一声は非常に重要で周り近所にこれは火事ではない。
との警報もありました。