皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、1940年の10月頃、ついにアメリカ行きのビザがユルブリンナーとその母親に発給されます。
一応、名目上は母親の白血病の治療のためですが、
1940年といえば国際情勢が非常に悪い時代だったのでユル一家のビザも一年ほど待たされました。
ユルさんは持ち前の押しの強さでビザを手にし、
姉から届いた乗船券と一本のギター、
わずかな所持金と着替えをもって
アメリカン・プレジデント・ラインズ(APL)が運航していた豪華客船「プレジデント・クリーブランド号」に神戸から乗船します。
もちろん一等室なんて乗れません
最下位等の3等寝台(Steerageステアリッジ)です。
つまり、狭い部屋に2段ないし3段ベッドが置かれた雑魚寝状態のドミトリーですね。
この船は当時「オリエント航路(Sunshine Belt to the Orient)」と呼ばれており、アメリカにわたる最後の安全な方法でした。
航路の目的も東アジアに住んでいるアメリカ人を本国に避難させるためともいわれております。
ちなみに、「プレジデント・クリーブランド号」は多くの場合「マニラ → 香港 → 上海 → 神戸 → 横浜 → ホノルル → サンフランシスコ」という順序で運行されていました。
画像
この画像は「プレジデント・クリーブランド号」がその後アメリカ海軍の輸送船とされ名前もUSSタスカー・H・ブリス(AP-42)と変えた時の画像です。
錨泊中のUSSタスカー・H・ブリス(AP-42)。日付と場所は不明。艦橋後方の小さな船倉に注目。前甲板に横たわる2隻のボートはLCM(3)。前部ボートの上に小型ボートを収納するためのスキッドに注目。米海軍の写真。ノーマン・フリードマン著
「US Amphibious Ships and Craft」よりBy US Navy photo – https://www.navsource.net/archives/09/22/22042.htm, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9429495