甘霧庵

冬と言えばビーチボーイズ No95 若いユルには我慢できても、お母さんには辛かったろうに。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1940年10月25日にサンフランシスコ港に到着したユル・ブリンナーと母親の旅はこれで終わりではありません。

最終目的地は姉が住んでいるニューヨークです。

すでにオペラ歌手として成功しつつあったユル・ブリンナーの姉ヴェラ・ブリンナーが活動の拠点とし、

また、住んでいたところがニューヨークだったからです。

しかし、サンフランシスコからニューヨークは飛行機で行ったとしても約6時間です。

当時は飛行機の移動は考えられなかったので

列車での移動です。

現代のアムトラックの前身である大陸横断鉄道で移動したと考えられます。

サンフランシスコからニューヨークは当時の列車でおそらく4日ほど。

もうそれまで何か月も移動の旅をしている彼らには何とも思えなかったかもしれません。

彼らがアメリカを目指した表向きの理由は母親の白血病の治療です。

しかし、当時は(といいますか現代であっても)白血病の治療法は確立されておりませんでした。

アメリカに到着した3年後の1943年、

ユル・ブリンナーの母親マルーシャ(マリア)・ブラトフスカヤは永眠しました。

これは私の想像ですが、

生まれ故郷ではない言葉も通じない異国の地ではありますが、

息子のユルと娘のヴェラ看取られながらの穏やかな最後だったと思いたいものです。

画像

蒸気機関車「Gov. Stanford

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5241763


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