甘霧庵

古都京都の文化遺産 その81 山深いところでお生まれになりました。町全体で推しています。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、高山寺を復活させた明恵上人は現在の和歌山県有田郡有田川町大字歓喜寺中越179番地(紀伊国在田郡石垣庄吉原村)にお生まれになりました。

かなり山深い町ではあります。

現在も明恵上人のお生まれになったであろう場所には

記念碑が建てられております。

 

ちなみによく似た町の名前に有田市がありますが、

有田市は海辺の町ですが有田川市は山中の町です。

明恵上人は8歳の時にご両親が相次いでお亡くなりになり、

叔父の上覚さんをたよって京都神護寺に入門し、

そこで真言や華厳の教えを学びます。

その後16歳で出家し、

僧名を明恵坊成弁(後に高弁)と名のり、

僧としての生活が始まります。

ちなみに、上覚さんの父上様は湯浅宗重さんです。

この方は熊野詣で紀伊国に来ていた平清盛に平治の乱の一報を伝え、

その後清盛さんと共に上洛を果たして有力武将の一人となります。

清盛の死後、

平重盛の子忠房を擁して湯浅城に立て籠もるが源頼朝に降伏し、

所領を安堵されます。

以後、順調に所領を増やして紀の川流域まで勢力を広げ、後に湯浅党と呼ばれるようになりました。

その四女が明恵上人のご母堂様にあたります。

つまり、明恵上人はご母堂様の兄上様を頼っていったということになります。

 

 

 


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