甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第113弾 どんな方でも受け入れる懐の深さ。学びたいもんです。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、ついに吉良邸に打ち入った赤穂の浪人一行。

暗闇の中で「火事だ!!」と叫んだおかげで

吉良邸側はパニックになってしまい冷静さを失ってしまいました。

吉良邸に詰めていた家臣はおよそ100人

そのうち、亡くなったのが文献によって多少の差はあるものの20人ほどが亡くなり

30人ほどが怪我をしました。

亡くなった方の中には剣豪として知られる小林平八郎や、

鳥居利右衛門、清水一学といった近習・家臣たちも含まれていました。

おそらく、彼らは剣がたつが故に多くの赤穂浪人にマークされてしまったのかもしれません。

また、主人を守るべく盾になって亡くなったのかもしれません。

どちらかと言いますと主人に忠実なものほど無事に済んだのかもしれません。

一方、赤穂側の被害は近藤武助と足軽の寺坂信行ら数名に軽傷があったとされる程度で死者はいませんでした。

亡くなった方々は赤穂の一行が引き上げた後、

近所の回向院に葬られました。

回向院の正式名称は「諸宗山 無縁寺 回向院」といいます。

その始まりは、江戸最大の火災といわれる「明暦の大火(振袖火事)」(1657年)にさかのぼります。

この火災で亡くなった身元の分からない10万人以上の人々を当時の将軍・徳川家綱が「貴賎や宗派の別なく弔うように」と命じて建立されました。

続く。

画像

Morio – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4616155による


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