甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その69 思わぬところに敵がおりました。牛耳っていました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1687年1月8日、リュリはルイ14世が病気(大腸瘻の手術)から回復したことを祝うため、

自身が作曲した宗教曲『テ・デウム(神よ、あなたを讃えます)』の演奏を指揮していました。

この演奏会は、当時ルイ14世の寵愛を失いかけていたリュリにとって、

国王への忠誠をアピールする極めて重要な舞台でした。

しかし、ルイ14世の出席は叶いませんでした。

色々、理由はあるでしょうが、

私の推測ではルイ14世の愛妾が変わったことに原因があるように思われます。

それまでのルイ14世のの宮殿を仕切っていたのはモンテスパン公爵夫人でした。

この方はリュリの最大の理解者であり支援者でしたので、

リュリの奔放な性生活も「芸の肥やしになれば」と考えており、

大目に見ておりました。

しかし、1680年に入った頃から王の心を掴み宮殿で権力を持ち始めたのが

マントノン夫人でした。

彼女は非常に敬虔で、

堅物なカトリック信者でした。

彼女の影響で、

ルイ14世の宮廷はかつての享楽的な雰囲気から、

一気に宗教的で厳格なものへと様変わりしていきました。

このご夫人の影響でルイ14世はリュリの演奏会に参加しにくくなったのでは無いかと、

また、王が参加することで王がリュリをお許しになったのではとの噂が流れるのを避けたかったと

気の毒なリュリです。

画像

ピエール・ミニャール – 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=840188による


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