皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、有田に戻った明恵が、
最初の本格的な山林修行の場として選んだのが白上山(現在の湯浅町)です。
ここで彼は自身の信仰の深さを象徴するいくつかの重要な行動や体験を残しています。
そのいくつかをご紹介します。
右耳を切り落とす(割耳の暴挙)
24歳のとき、明恵は自身の修行への覚悟を証明し、
周囲からの「若き天才僧」という名声を完全に断ち切るため、
文殊菩薩の像の前で自らの右耳の一部を切り落としました。
容貌を損なえば、出世コースである「法師の官位」を得る道が閉ざされるからです。
お釈迦様のように、ただ一人の修行者として生きるための壮絶な決意表明でした。
縄上の座と大自然との一体化
白上山での明恵は、松の木の枝の間に縄を渡し、
その上で座禅を組む「縄上の座(じょうじょうのざ)」のような危険を伴う過酷な瞑想を行いました。
鳥の声や風の音に包まれながら、現世の雑音を払い、仏の世界と一体になろうとしたのです。
筏立(いかだち)での「仏眼仏母」への慕情
白上山での修行が広く知られ、再び人々が集まり始めると、
静寂を求めた明恵はさらに山奥の筏立(現在の有田川町)へと移り住みます。
この筏立の地で、明恵は「仏眼仏母(ぶつげんぶつも:諸仏を生み出す母とされる存在)」への信仰を極限まで深めました。
幼くして実の母を亡くした明恵にとって仏眼仏母は信仰の対象であると同時に、
絶対的な母性の象徴でもありました。
彼は仏眼仏母の絵像を前に涙を流しながら夜通し瞑想に耽ったと言われています。
画像
谷文晁ほか – Scanned from reprint of 1908, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1255610による