皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、天竺(現在のインド)に行くことを決意した明恵上人ですが、結局この計画は断念せざるを得ませんでした。
時は1203年 明恵上人31歳の頃です。
明恵上人が熱心に準備を進めるなか、
彼を深く敬愛していた紀伊国の有力者、湯浅景基(ゆあさかげもと)の妻が熱病に浮かされながら
「春日大社(奈良)の神様が、明恵の渡天を激しく引き止めている」という託宣(お告げ)を口にしました。
さらに明恵自身も、同様に春日明神から引き止められる夢を重ねて見ます。
「これほど神仏が日本に留まるよう望んでいるのなら、行くべきではないのかもしれない」と考え直した明恵は、
苦渋の決断で1回目の計画を断念しました。
そして、その2年後の1205年にも計画をしました。
今度こそはと出発の決意を固めていた明恵を襲ったのは、
突然の重い病(熱病)でした。
起き上がることすらできないほどの高熱に倒れ、肉体的に旅立つことが不可能な状態に追い込まれてしまったのです。
さらに、明恵の心身を心配した周囲の引き止めは凄まじいものでした。
なかでも、明恵の優れた才能を惜しみ、父親のように彼を愛していた興福寺の学僧・信円(しんえん)は、
病床の明恵に対して涙ながらにこう訴えました。
「お前が天竺に行ってしまえば、日本の仏教の灯火は消えてしまう。どうか思いとどまって、日本の地で正しい仏法を広めてくれ」
病の身体と、これほどまでに自分を必要としてくれる恩師たちの深い愛に直面し、明恵はついに「天竺への旅立ち」を永久に諦める決意をしました。
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明恵上人が憧れた世界遺産「サーンチーの仏教遺跡」の大ストゥーパ