皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、名利を嫌い紀州の白山などで厳格な修行に打ち込んでいた明恵ですが、
その高徳は京の都まで届いていました。
1206年、その評判を聞いた後鳥羽上皇から都へ呼び戻され、栂尾の地を寄進されます。
都会嫌いで、田舎でスローライフを満喫したかったでしょうが、
要請されたのがのっぴきならぬ方からの要請では断りきれなかったでしょう。
しかも、後鳥羽上皇は栂尾の土地まで用意してくれました。
明恵はここに「高山寺」を開山し、華厳宗の学問と真言密教の修行を融合させた道場として整備しました。
これだけならまだしも
叔父であり師でもある高雄・神護寺の景雅(けいが)らから、復興や後進育成のために帰京を強く求められていました。
流石に恩のある恩師の依頼を無碍に断ることはできません。
釈尊への強い憧れから二度にわたり渡天(インド渡航)を計画したものの、春日明神のお告げなどにより断念したこともあって。
日本国内で仏法を再興することへ目標を切り替えました。
一度は世俗を離れた明恵でしたが、
「釈尊の正法を正しく伝える」という使命感と、
それを実現するための静謐な環境が栂尾に整ったことで再び京都を拠点に活動することを決意しました。
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藤原信実 – The Japanese book “Men to shōzō (Genshoku Nihon no bijutsu, No.21)”, Shōgakukan (小学館), 1980 ISBN 4096630217, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3897565による