甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第8弾  「高村光太郎旧居跡」 愛の巣をも空襲は灰にしてしまいます。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、高村光太郎先生と言えば、十和田湖半に立っております「乙女の像」が有名です。

私は愚かにも「乙女の像」印象が強すぎて高村先生は東北出身と思い込んでおりました。

しかし、ご出身は東京でした。

今回ご紹介するのはお生まれになった場所ではありません。

高村先生がお父上と袂をわかち独立してアトリエを構えた場所です。

お生まれは詳しくはわかりませんが、

都営大江戸線の新御徒町駅と上野御徒町駅の間あたりです。

そして、10歳の頃に千駄木5−20−6にお引越しされます。

この場所には特に看板とかはなかったと思います。

高村先生のお父上も彫刻家で高村光雲師です。

高村光雲師と言えば有名なのが上野公園の西郷隆盛像です。

ですから、天才親子だったのですね。

しかし、方向性は違っていたみたいで、

父上は伝統的な仏像彫刻を踏襲し、

御令息は伝統から脱去くし、西洋の流れやピカソ的な発想を自分の芸術にも取り込もうとしました。

そんなこともあって高村光太郎先生はここにアトリエを構えたそうです。

ここで、愛妻智恵子さんと同棲もしましたし、

重要な作品もこのアトリエから生まれました。

しかし、1920年に東京大空襲で多くの作品と共に燃えてしまいました。

今は下の写真のように看板があるだけです。

地図も載せておきます。

一度、お運びください。

 


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