皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、知里幸恵さんが大正11年8月1日付けのご両親に宛てた手紙にはちょっと衝撃的な内容が書かれておりました。
それは、みいちゃんと呼ばれていた20歳のお嬢さんで、
知里さんが下宿していた言語学者金田一先生の奥さんの姪っ子さんです。
大正11年7月26日の朝4時半、
知里さんが朝の勉強をしているところへ、
別の姪っ子さんが飛び込んできました。
では、原文です。
「息をはづませながら先生をよんでくれと仰るので御座敷へ飛んで行ったら、
先生も奥様も寝衣のまま飛出したので、
奥様のお尻へくっついて私も行ってきいたら、
その姉さん息がつまって物も云へないので、
奥様が水を上げるとやっと息づいて、
『実はみつが昨夜とんだ事になりまして……あの汽車で自殺をしてしまひました』といふのです。
みんなでびっくり、
奥様が泣くので私もつひ泣いてしまひました。」
さらに続けて
「みんなでびっくり、
奥様が泣くので私もつひ泣いてしまひました。
其の日は一日、
赤ちゃんをあづけられて先生も奥様もお出かけなさいました。」
これはびっくりですね。
この赤ちゃんは金田一春彦先生の妹さんです。
この妹さんはあまりお体が丈夫ではなかったそうです。
続く。