皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、二条城について色々調べていましたら面白い記事がありましたのでご紹介します。
京都は平安時代に綺麗に碁盤の形に街の整備がなされました。
この街の整備が紀元800年頃とすると二条城の設計がされたのはその約800年後と言うことになります。
で、二条城自体は1辺約150mの正方形に近い形をしていますが、
この正方形が平安時代の町割りに対して平行ではないのです。
次の3つの説が説かれています。
時計回りに約3°ずれている説
時計回りに約1°ずれている説
時計回りに約7°ずれている説
があります。
それぞれの根拠として3°説には二条城の創建時に急激にに磁北がずれた。
1°説には平安時代の町割りから800年で1°ずれた。
7°説には「日本考古地磁気データベース」によります。
と上記のように色々説がありそれぞれに根拠がありますが、
結局、結論としては、豊臣秀吉さんが京都に聚楽第を建設した時に約3°のズレが生じたまま街路を作ってしまったため、
それを徳川家康が継承したので二条城が町割りに対して約3°ずれたと言うのが定説になっております。
したの地図を見ますと二条城と二条城の東側の堀川通の間の歩道が北側が少し狭くなっています。
面白かったですか?
画像
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