皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、不当な裁判のうえ、
不当な刑の執行により切腹が決まりました。
しかし、浅野長矩さんは至って冷静で判決の言い渡しに対して
「今日不調法なる仕方いかようにも仰せ付けられるべき儀を切腹と仰せ付けられ、有難く存知奉り候」と答えたと言われております。
そしてただちに障子が開けられ、即日刑が執行されることになりました。
長矩の後ろには幕府徒目付が左右に2人付き
、庭先の切腹場へと移されました。
正検使役の大目付・庄田安利と副検使役の目付・多門重共、大久保忠鎮ら幕府検使役の立会いのもと、
長矩は磯田武大夫(幕府徒目付)の介錯で切腹しました。
享年35。
その後、田村家から知らせを受けた浅野家家臣の片岡高房、糟谷勘左衛門、建部喜六、田中貞四郎、礒貝正久、中村清右衛門らが田村邸に赴き、
介錯に失敗し首を二度斬りされた長矩の遺体を確認しました。
そして彼らが遺体を引き取り高輪泉岳寺に埋葬されました。
なお、首を二度斬りしたため周囲に血が飛び散りました。
その血がかかったという浅野長矩の「血染めの梅」と「血染めの石」が泉岳寺にあります。
泉岳寺は赤穂事件の大舞台です。
このお寺に主人公のお墓もあります。
有料ですけど。