甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その36 いよいよモリエールとリュリの出会いの時がやってきます。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、長い修行時代を耐えぬきパリに凱旋してからのモリエール一座の快進撃は凄まじいものがありました。

とにかく新作の演劇を発表すると常に満員御礼。

特に喜劇の演目が発表されるとパリっ子はこぞって押しかけたようです。

ただ、モリエール一座オリジナルの演目は大いに受けましたが、

他人の台本にはそこまで反応が良くなかったみたいです。

そして、パリ凱旋から3年が経った1661年にパレ・ロワイヤルが改修を終えて、

劇場として使えるようになりました。

そこで、モリエールは悲劇『ドン・ガルシ・ド・ナヴァール』を上演しました。

wikipediaによりますと

「劇作家としての技量を示す格好の本格悲劇として、

周到に準備を進めてこの作品の初演に臨んだモリエールであったが、

公演をわずか7回で打ち切るほど観客の評判は悪く、

大失敗してしまった。

モリエールはこの作品で主人公を演じたが、

すでに喜劇役者として得ていた名声が、

大きな障害となってしまったのである。

この作品の台本はモリエールの生前中は出版されることもなく、

1663年を最後にモリエールの生前は上演されなくなった

そして、1661年には歴史的な作品が生まれます。

画像

パレロワイヤル

Marie-Lan Nguyen – 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=865086による

 


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