甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その37 1661年はフランス史においても音楽史においても重要な年です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1661年はフランス史においても音楽史においても重要な年でした。

まずは、フランス史から。

ルイ14世が国王だった頃の財務大臣はニコラ・フーケ卿でした。

彼は何と検事総長も兼ねており、

マザラン亡き後の最大の実力者でありました。

今の日本の財務大臣とは違って当時のフランスの財務大臣は国の財務を自由に扱うことができる立場でした。

しかも検事総長も兼ねているので彼がいくら懐に納めようとも誰も何も文句の言えない状態でした。

ニコラ・フーケ卿はいずれ自分が国王をも凌ぐ人物になってやるぐらいの野心かでありましたが、

その一方でベル島を買い上げそこを要塞化して、

何かあった時の逃げ場を作るしたたかさも持ち合わせておりました。

そんな彼がパリの南東セーヌ=エ=マルヌ県・マンシーに大金を叩いてヴォー=ル=ヴィコント城を建築しました。

このお城は現在も残っております。

それは見事なバロック調のお城と庭園で、

どこかヴェルサイユ宮殿を彷彿するような作りになっております。

と言いますか。

ヴォー=ル=ヴィコント城の建築家と画家と庭師がそのままヴェルサイユ宮殿に従事していますから

当然と言えば当然です。

有頂天になったニコラ・フーケ卿は大規模な柿落としパーティーを開きます。

続く

画像

ヴォー=ル=ヴィコント城の正面

Jean-Pol GRANDMONT – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28466487による


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