甘霧庵

古都京都の文化遺産 その58 親鸞聖人が荼毘に付された場所には諸説あるんですね。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、建武の乱で本願寺は焼失してしまいました。

覚如さんは落ち込んだでしょうね。

自らの命を賭して守ってきたお寺があっという間に灰になってしまうなんて。

傷心の覚如さんは西山にある久遠寺に拠点を移します。

覚如さん66歳の時です。

現代なら66歳と言えばまだまだやれるでしょうが、

当時としてはかなり高齢といえるでしょう。

すっかり老け込んでしまったと想像できます。

ちなみに久遠寺は現在「本願寺西山別院」となっております。

久遠寺の歴史はかなり古く平安時代初期

桓武天皇の命令で最澄さんが創建されたお寺でした。

その後、すっかり荒廃してしまいますが、

そこに覚如さんが入られ復興していきます。

そして、1351年に82歳で入滅されました。

ご遺体は敬愛してやまない親鸞上人と同じ場所で荼毘に付されたとされております。

ちなみに荼毘に付された場所には当時「延仁寺(えんにんじ)」というお寺がありましたが、

西本願寺は現在の大谷本廟に隣接する場所にあったと主張しておりますが、

東本願寺は京都の東山にある延仁寺の近くで荼毘されたと主張しております。

この二つは割と近いのですが、

延仁寺のほうがアクセスはよくないです。

画像

延仁寺(京都市東山区)

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