甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第90弾 武林 隆重さんは外国人でしょうか。多分違うと思います。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、赤穂浪士には外国人も混ざっていたといわれております。

しかし、少なくとも現行法においてはまちがいですが、

当時としては外国人と言われていたのかもしれません。

その方は武林 隆重(たけばやし たかしげ、1672年ー1703年3月20日)通称は唯七(ただしち)さんです。

武林さんのおじいさんに当たる方が豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜となった方で、

名前は孟二寛(もうじかん)です。

ただし、日本に来た時に帰化して渡辺 士式(わたなべ ことのり)と名乗りました。

この方が日本に無理やり連れてこられたのか、

自ら来たのかは定かではありませんが、

日本に中国の医療を輸入したことはわかっております。

ですから、武林 隆重さんが外国人であるというのは正確ではありません。

で、

武林さんに関しては史実ではない逸話があります。

武林さんが江戸に向かっている途中に小者に絡まれます。

武林さんはこの小者を蹴り飛ばして殺してしまいます。

そこへ、役人と小者の妻がやってきて100両で和解しようと持ち掛けます。

そのことを大石さんに相談したところ

100両支払え。

そのうえで、

遺体を真っ二つに切ってしまえ。

これを聞いた小者は急に息を吹き返したそうです。

ソロモンの知恵みたいです。

画像

三代目市川八百蔵扮する武林唯七(勝川春英画)

勝川春英 – Online Collection of Brooklyn Museum; Photo: Brooklyn Museum, 20.938_IMLS_SL2.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10957166による


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