皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、日中戦争を察知したユル・ブリンナーの母親はパリに移住することを決意しました。
パリに移住したユル・ブリンナーはパリのロシア人コミュニティーにあったキャバレーで
歌手兼ギタリストでデビューしました。
ちなみに、デビューしたキャバレーの名前は分かっております
「エルミタージュ」というキャバレーです。
「エルミタージュ」とはフランス語で隠れ家という意味だそうで、
多少、いかがわしいこともあったそうです。
さらに、1934年頃ユル・ブリンナーさん14歳の時
サーカス団「シルク・ディヴェール」に入団、
空中ブランコ乗りとして活動し始めます。
この頃からあの美しい肉体美を持っていたのかもしれません。
しかし、彼に悲劇が襲います。
1936年16歳の時、
空中ブランコの中でも最高レベルの大技を繰り出した瞬間
失敗して落下してしまいました。
しかも運の悪いことに
安全ネットが上手く張られていなかったのか、
安全ネットにうまく落ちなかったのか
地面に落下してしまい40か所以上の骨折をしてしまいます。
この大けがでサーカス団としてキャリアは途絶えてしまいます。
しかも、この時に使われた鎮痛剤がアヘン由来の鎮痛剤だったので
彼はアヘンなしでは生きていけない体になってしまいました。